はじめに 私たちは「何を言うか」ばかり考えていないか
指導の現場に長くいると、ふと立ち止まって考えることがあります。「自分は今、怒っているのか。それとも、叱っているのか」と。
この二つは似ているようでまったく異なりますが、現場ではしばしば混同されています。声を荒げれば「叱った」ことになり、強い言葉を使えば「指導した」ことになる。そんな空気が、どこか当たり前のように残っています。
しかし、怒鳴られた選手が萎縮して動けなくなる姿や、正論をぶつけられて自信を失っていく子どもを見るたびに、「正しいことを言ったはずなのに、なぜか伝わらない」と戸惑う指導者は少なくありません。もしかしたら私たちは、「何を言うか」ばかりを考えて、「どう伝わるか」を置き去りにしてきたのではないでしょうか。
本コラムでは、「怒る」と「叱る」の違いを脳科学と禅の視点から整理し、本当に目指すべき「伝わる指導」の在り方について考えてみたいと思います。
第1章 「怒る」とは指導ではなく、単なる「感情の放出」である
現場ではよく「怒るのも愛情だ」「本気だから怒るんだ」という言葉を耳にします。真剣だからこそ感情が動き、期待しているからこそ腹が立つ。その気持ちはよく分かります。しかし、「感情が動くこと」と「教育として機能すること」はまったく別の話です。
科学的な視点から見てみましょう。人が怒りを感じているとき、脳内ではどのようなことが起きているのでしょうか。
- 扁桃体(へんとうたい)の暴走: 怒りを感じると、恐怖や生存に関わる原始的な感情を司る「扁桃体(反射の脳)」が強く活動します。
- 前頭前野(ぜんとうぜんや)の機能低下: 一方で、理性的な判断や「どう伝えるか」を考える「前頭前野(考える脳)」の働きは一時的に低下します。
- 情動ハイジャック: 感情が理性を乗っ取ってしまうこの状態を、心理学では「情動ハイジャック」と呼びます。
怒っているときほど言葉が雑になり、後から「言い過ぎた」と後悔するのは、性格の問題ではなく脳の構造上誰にでも起こる反応です。「なんでできないんだ!」という言葉の主語は、たいてい「困った・イライラした自分」です。つまり、怒るという行為は相手を育てるためではなく、自分の感情を処理するための「放出」に過ぎないのです。
さらに、威圧的な態度を受けた選手の脳も防衛モードに入り、呼吸は浅く、筋肉は硬くなり、視野が狭くなります。これはスポーツにおいて最もパフォーマンスが落ちる状態です。良くなってほしいと願いながら、無意識に相手を“動けない状態”に追い込んでしまっているのが、「怒る」という行為の正体なのです。
第2章 「叱る」とは意図的なフィードバックである〜禅に学ぶ静かな指導〜
怒ることが「感情に飲み込まれた反応」だとするなら、「叱る」とは何でしょうか。多くの人が「厳しく注意すること」だとイメージしていますが、本来、叱ることに声の大きさや熱量、怒りの感情は必要ありません。
叱るとは、意図を持って相手の行動を正すためのフィードバックです。そこに怒りが混ざった瞬間、「叱る」は「怒る」へと変質してしまいます。必要なのは熱量ではなく、静けさです。ここで、禅の教えが非常に大きなヒントになります。
- 「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」 心が波立っているとき、物事の本質は見えません。感情の波を静め、相手の人格ではなく「行動」を、評価ではなく「可能性」を冷静に見つめる。静かで、具体的で、相手の未来に向いた言葉をかけることこそが、本来の「叱る」です。
- 「和顔愛語(わげんあいご)」 やわらかな表情で、愛のある言葉を使うという意味です。厳しいことを言ってはいけないわけではありません。同じ内容でも、表情や語気ひとつで相手の受け取り方は変わります。「伝え方そのものが修行である」という教えです。
無意識の反射である「怒る」に対し、「叱る」は自分の心を整え、言葉を選ぶという意図的な「選択」です。叱るとは、相手をコントロールする行為ではなく、自分を整える行為なのです。
第3章 本当に大切なのは「伝わること」〜叱るを超えて、相手に合わせる在り方〜
感情を抑え、意図を持って叱る。ここまででも指導としては十分成熟していますが、現場ではもう一つの壁にぶつかります。それは、「正しく叱ったはずなのに、なぜか伝わらない」という現実です。
どれだけ理論的に相手のためを思って言葉を選んでも、「否定された気がする」「怖い」と受け取られてしまうことがあります。指導とは「何を言ったか」では決まりません。「相手がどう受け取ったか」で、すべてが決まるのです。
「相手のために言っている」という段階では、まだ主語は自分(伝える側の論理)です。本当に必要なのは、そこから一歩進んで「相手の世界から考える」ことです。同じ言葉でも、ある選手には背中を押す一言になり、別の選手には心を閉ざす一言になります。
- 「随処作主(ずいしょさしゅ)」 どんな状況でも主体的に振る舞うという禅の言葉ですが、私はこれを**「状況や相手に合わせて自在に在れ」**という教えとして受け取っています。
型に固執せず、目の前の相手に合わせて水のように形を変える。正解の言葉を探すのではなく、「この人には、どんな言い方なら届くだろうか」と想像し続ける営み。
怒らない。叱らない。それでも、自然と伝わる。 そんな関係性が築けたとき、指導は初めて「技術」ではなく「在り方」になります。ただ、届く。そこを目指すことこそが、トレーナーの枠を超えた「真のコーチ」としての在り方なのだと思います。
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まとめ 指導とは「技術」ではなく「在り方」である
ここまで「怒る」「叱る」「伝わる」という3つのフェーズについて考えてきました。
- 怒る(反射): 自分の感情に飲み込まれ、相手を萎縮させるだけの行為。
- 叱る(選択): 感情を静め、意図を持って相手の未来に向けたフィードバックを行う行為。
- 伝わる(在り方): 自分の正しさを手放し、目の前の相手にどうすれば届くのかを想像し、柔軟に形を変える営み。
コミュニケーションの結果は、常に「受信側」が決めるという残酷な事実から目を背けてはいけません。どれだけ正しい正論も、どれほど熱い情熱も、相手に届かなければ意味がないのです。
指導者がまずすべきことは、相手を変えようとすることではありません。自分自身の心を整え(平常心)、相手の多様な個性や受け取り方を深く理解しようと努めることです。怒るでもなく、叱るでもなく、ただ自然と「伝わる」。そんな信頼関係が築けたとき、私たちの指導は初めて「テクニック」を超え、一人の人間としての「在り方」になります。
目の前の選手に、あなたの言葉はどう響いているでしょうか。 ぜひ今日から、正解の言葉を探すのではなく、「この人に伝わる言葉」を想像する時間を少しだけ持ってみてください。
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