ジャズのセッションに、メンタルコーチングの本質がある
スポーツメンタルコーチングの世界では、私たちはよく「セッション」という言葉を使います。
アスリートとの対話を通して、心の奥にある思考や感情を引き出していく時間、それがコーチングセッションです。
実はこの「セッション」という言葉、音楽の世界でも深く使われています。
特にジャズの世界では、セッションは即興演奏(インプロヴィゼーション)の代名詞。
プレイヤー同士が台本のないやり取りの中で、お互いの音を聴き合い、呼吸を合わせながら、その瞬間にしか生まれないグルーヴを生み出していきます。
コーチングもまったく同じです。
台本も、正解も、完成されたメソッドもありません。
アスリートとコーチがいまという瞬間を共にしながら、対話を通じてまだ形になっていない「新しい自分」を見つけていく。
それがまさに「コーチングセッション」という名の即興演奏です。
優れたジャズミュージシャンが、相手の音に全神経を傾けてリズムを合わせるように、優れたスポーツメンタルコーチも、アスリートの呼吸・間・感情のうねりに耳を澄ませます。
その姿勢にこそ、メンタルコーチングの原点があるのです。
そして、ジャズのセッションを理解することは、メンタルコーチングをより深く理解する近道でもあります。
これから紹介する5つの視点は、ジャズとメンタルコーチングの共通点を通して、あなたが「真に寄り添うコーチ」へと進化するヒントになるはずです。
セッションとは「対話であり、創造」である
ジャズのセッションは、予定調和ではありません。
台本も、正解も、練習通りの音もない。あるのは「お互いの音を聴き合い、その瞬間を共に創る」という意識だけです。
ひとりがリズムを刻めば、もうひとりがそれに呼応する。即興の中にこそ、創造の息吹が宿ります。
スポーツメンタルコーチングもまさに同じです。
メンタルコーチングは「導く」ものではなく、「共に創る」もの。
コーチが一方的に答えを提示するのではなく、クライアント(アスリート)の心の内に眠る可能性の音を引き出していく。
そこには、事前に決められた正解など存在しません。
コーチとアスリートが向き合う瞬間、その場の空気、沈黙、呼吸、そして表情の変化、そうした目に見えない音を感じ取ることができたとき、はじめて本当のセッションが始まります。
心理学者カール・ロジャースは「人は理解されると変化する」と言いました。
ジャズもメンタルコーチングも、この理解される体験を通して自己表現が解放されていく点で共通しています。
つまり、セッションとは、言葉と感情の即興演奏。
相手の中にあるリズムを感じ取りながら、一緒にまだ聴いたことのない音を生み出す場なのです。
聴く力がすべてを変える 〜リスナーとしてのコーチ〜
ジャズの世界では、「上手に弾ける人」よりも「よく聴ける人」が尊敬されます。
それは、セッションにおいて“音を聴く力”こそが最も重要だからです。
ピアニストが小さくフレーズを変えたとき、サックス奏者がわずかにリズムをずらしたとき。
その変化の兆しを感じ取れる耳を持つ人だけが、即興の流れを生かし、より豊かな音を生み出せるのです。
スポーツメンタルコーチングもまったく同じです。
メンタルコーチングの本質は「話す力」よりも「聴く力」にあります。
クライアントの言葉の裏にある意図や感情を聴き取ることが、次の問いを生み出し、本人の気づきを促す土台となります。
たとえば、選手がこう言うとき・・・
「調子が悪くて、自信がないんです」
多くの人は自信をつける方法を探そうとします。
しかし、メンタルコーチはその言葉のトーン、呼吸の間、そして沈黙の余白までも聴き取る必要があります。
もしかすると、その「自信がない」は、結果を出せない自分への怒りや周囲への期待への恐れの表れかもしれません。
心理学的には、こうした非言語的情報(ノンバーバル)の方が言葉よりも多くの真実を含んでいます。
研究によれば、人間のコミュニケーションのうち93%は非言語によって伝えられるとも言われています(Mehrabian, 1971)。
つまり、メンタルコーチングにおける「聴く力」とは、耳で聴くだけではなく、心で聴く力のこと。
相手の音だけでなく、沈黙の音までも感じ取る。
ジャズの演奏者が、相手の音に寄り添いながら次の音を選ぶように、メンタルコーチもまた、アスリートの心のリズムに合わせながら、その瞬間に必要な言葉を選び取っていくのです。
構造の中に自由がある 〜コード進行とセッション〜
ジャズには「コード進行」という、音の流れを決めるルールがあります。
このルールがあるからこそ、演奏者はその枠の中で自由に即興を楽しむことができるのです。
つまり、完全な自由は、一定の制約の上にこそ成り立つということ。
スポーツメンタルコーチングも同じです。
セッションは自由な対話でありながら、心理学・脳科学・行動科学などの理論に基づいた「構造(フレーム)」を持っています。
この構造があることで、アスリートの話をただ聞くだけではなく、気づきを促す方向性を見失わないようにできるのです。
たとえば、ジャズのセッションでは、ピアノが「Ⅱ-Ⅴ-Ⅰ」という流れ(定番のコード進行)を弾いたとき、サックス奏者はその流れを感じながら、自由にメロディを重ねていきます。
これはまさに、メンタルコーチングの「質問」と「応答」に似ています。
メンタルコーチが「問い」というコードを出し、アスリートがその上で「答え」というメロディを奏でる。
メンタルコーチは相手の音(答え)を聴きながら、次にどんなコードを弾くかを決めていくのです。
自由なようでいて、全ては構造に支えられている。
構造があるから、迷わずに即興できる。
これは音楽にも、メンタルコーチングにも共通する真理です。
また、心理的安全性の観点から見ても、「ルールのある自由」こそが人の創造性を最も引き出します(Edmondson, 1999)。
アスリートが安心して自分を表現できる空間を作るには、ジャズのように自由と秩序のバランスが欠かせないのです。
沈黙もまた音楽である 〜「間(ま)」が導く気づき〜
ジャズのセッションで最も美しい瞬間のひとつは、誰も音を出さない「間(ま)」に訪れます。
一瞬の静寂。
でもその静寂の中には、次の音を待つ緊張と期待が満ちています。
聴く側も演奏者も、その間に耳を澄まし、次にどんな音が生まれるのかを全身で感じ取る。
この沈黙の呼吸こそが、ジャズの深みであり、生命線でもあります。
スポーツメンタルコーチングのセッションも、まったく同じです。
コーチは時に、あえて沈黙を選びます。
クライアント(アスリート)が自分の内側の声に耳を傾ける時間をつくるために。
人間の脳は、外からの刺激が止まると「デフォルトモードネットワーク(DMN)」という内省の領域が活性化します(Raichle et al., 2001)。
この状態こそ、自己理解や気づきが生まれる瞬間。
つまり、沈黙は心の再起動ボタンでもあるのです。
多くの指導者やメンタルコーチが、焦って答えを出そうとする中で、沈黙を恐れずに待てるメンタルコーチは少ない。
けれど、本当に人が変わるのは「言葉が響いた瞬間」ではなく、「沈黙の中で、その言葉が心に沈み込んだ瞬間」です。
ジャズで言えば、音と音の間にある余白が音楽を豊かにするように、メンタルコーチングでも言葉と沈黙の間が、気づきを生み出すのです。
禅の世界にも、「喫茶去(きっさこ)」という言葉があります。
意味は「まあ、お茶でもどうぞ」。
焦らず、求めず、ただ今ここの時間を味わうという教えです。
メンタルコーチもまた、アスリートの心に無理に踏み込まず、沈黙を受け入れる余裕を持つことが、最も深いセッションを生み出します。
一音入魂 〜スポーツメンタルコーチの即興力〜
ジャズには「一音入魂(いちおんにゅうこん)」という言葉があります。
これは「一つの音に全身全霊を込める」という意味。
ただ音を並べるのではなく、その瞬間の心と空気を音に宿すという思想です。
スポーツメンタルコーチングもまさに同じです。
毎回のセッションは即興演奏のようなもの。
アスリートの言葉、表情、沈黙、呼吸、それらがすべて「音」として響いています。
そこに対して、マニュアル的に同じ問いを投げても、その瞬間の音楽は生まれません。
大切なのは、今この瞬間に全身で向き合うこと。
セッション中、アスリートが発したたった一言、目の揺らぎ、呼吸の浅さ、そこに宿る感情を聴き取り、必要なタイミングで、必要な言葉を即興で奏でることです。
心理学者カール・ロジャースも言いました。
「真に聴くことは、最も強力な変化の触媒である」と。
相手を変えようとするのではなく、相手の存在そのものを受け入れる聴き方が、人の中のエネルギーを自然に解き放つのです。
ジャズの演奏者がそうであるように、スポーツメンタルコーチも「コントロール」ではなく「共鳴」を大切にします。
選手を導くのではなく、共に響く。
その響きの中に、新しい自分を見つけるきっかけがある。
そして何より、スポーツメンタルコーチは陰の存在であることを忘れてはいけません。
スポットライトの下に立つのは常にアスリート。
メンタルコーチはあくまで、その音がより美しく響くように支える側。
音楽でいえばベースのような存在です。
誰にも気づかれないけれど、その低音があるからこそ、音楽は成り立つ。
アスリートが奏でる人生の音楽を支える陰のリズムとして、今日も私たちは一音入魂でセッションを続けていく。
その瞬間ごとの即興が、誰かの心を揺らす音になることを信じて。