それは知識のためではなく、選手と対話するためである
スポーツメンタルコーチとして現場に立っていると、時々こんな疑問にぶつかる。
「コーチなのに、まったく本を読まない人ってどうなんだろう?」
読書は義務なのか。
本を読まない指導者は失格なのか。
これは単なる好き嫌いの話ではない。
実は、指導者としての在り方そのものに関わる問題だと私は思っている。
結論から言えば、
本を読まないこと自体は問題ではない。
しかし、学び続けない指導者は確実に問題である。
この違いは、想像以上に大きい。
指導者は「多様な選手」を扱う仕事
スポーツ指導者やスポーツメンタルコーチの仕事は、技術を教えることだけではない。
選手一人ひとりの
考え方
性格
価値観
理解の仕方
この違いに合わせて関わる仕事だ。
感覚で動く選手もいれば
理論で納得したい選手もいる。
データを求める選手もいれば
本を読み、哲学や心理学からヒントを得る選手もいる。
つまり指導者とは、
「人間の多様性を扱う職業」
なのである。
読書は教養ではなく「職業スキル」
ここで一つの現実がある。
理論派の選手や、読書家の選手がこう言ったとする。
「コーチ、この本に書いてあったメンタルモデルってどう思いますか?」
このとき指導者が
「そんなの読まなくていい。気合だ。」
と返したらどうなるか。
その瞬間、信頼関係は崩れる。
なぜなら、
会話が成立していないからだ。
読書とは、知識のマウントを取るためのものではない。
読書とは、選手と同じ言語で話すための翻訳ツール なのである。
だから私はこう考えている。
読書は人格磨きではない。
読書は指導者としての「対話力」そのものだ。
大工にとってのノコギリと同じ。
料理人にとっての包丁と同じ。
ただの「道具」だ。
しかし、なくては仕事にならない道具でもある。
学ばない指導者が一番危険
もちろん、学び方は人それぞれだ。
本から学ぶ人もいれば
現場経験から学ぶ人もいる
人から直接聞いて吸収する人もいる
それでいい。
問題なのは
学ばないこと
アップデートを止めること
昔の成功体験だけにすがること
これだ。
スポーツ科学も心理学も、常に進化している。
10年前の常識は、今では間違っていることも珍しくない。
それでも「俺はこのやり方でやってきた」と止まってしまう指導者は、
選手の未来を止めてしまう。
それはもうプロとは言えない。
「本を読まない=何目的」なのか?
本も読まず、学びもせず、アップデートもしない。
それでコーチをやっている。
それって、結局何のためなのか?
理解ができないことがある。
しかし今は少し違う。
プロ意識の問題
学習姿勢の問題
覚悟の問題
なのだ。
人格を決めつける必要はない。
ただ一つ言えるのは、
指導者とは「学び続ける人」でなければならない。
それだけだ。
指導者とは、生涯学習者である
優れたコーチや名将たちは例外なく学び続けている。
心理学
歴史
哲学
リーダー論
コミュニケーション
ジャンルを問わず、常にインプットを止めない。
なぜか。
それは賢くなりたいからではない。
選手を深く理解したいからだ。
目の前の一人の人生に、本気で向き合いたいからだ。
まとめ
本を読まないこと自体は罪ではない。
しかし、
学ばない指導者は、選手と対話できない。
対話できない指導者は、信頼されない。
信頼されない指導者は、人を育てられない。
だからこそ、我々は思う。
指導者にとって読書とは
「知識」ではなく
「誠意」なのだと。
選手と真剣に向き合うための、最低限の準備なのだと。
スポーツメンタルコーチとは、生涯学習者である。
それが、我々のたどり着いた答えである。

