ある日、現場でこんな話を聞いた。
「選手には三択で質問するようにしているんです。そのほうがすぐ答えてくれるから」
なるほど、たしかに理にかなっている。
「どう思う?」と聞かれて黙ってしまう選手も、
「技術?判断?それともメンタル?」と選択肢があれば、すぐに口を開く。
指導のテンポは上がる。
コミュニケーションもスムーズになる。
現場感覚としては、とても”使える”方法だ。
実際、試合中やタイムアウトのように時間が限られた場面では、このスピード感は武器になるだろう。
しかし、ふと立ち止まって考えてみた。
その質問は、
本当に選手の「力」を引き出しているのだろうか。
それとも、
「考えさせているようで、考えさせていない」状態をつくってはいないだろうか。
質問は、ただの会話テクニックではない。
問いの立て方ひとつで、選手の思考力も、自立心も、成長スピードも大きく変わる。
すぐに答えが出る問いと、
時間がかかっても選手の内側に深く残る問い。
どちらが本当に“良い指導”なのか。
本記事では、トレーナーやコーチの間でよく使われる「三択の質問」を切り口に、
そのメリットとデメリット、そして本当に選手を育てる問いかけの在り方について考えていきたい。
第1章 なぜ三択の質問は「即答」を生むのか
スポーツ現場と相性のいい心理学的メカニズム
「どう思う?」
この一言に、フリーズしてしまう選手は少なくない。
頭では何かを感じている。
でも、言葉にできない。
何をどう答えていいかわからない。
その結果、
「うーん……」「わかりません」
そんな返事が返ってくる。
一方で、
「今のミスの原因は、技術?判断?それともメンタル?」
こう聞くとどうだろう。
多くの選手が、ほぼ反射的に
「メンタルです」
「判断かな」
と答え始める。
なぜ、こんなにも反応が変わるのか。
それは、選手の「やる気」や「理解度」の問題ではない。
人間の脳の仕組みそのものが関係している。
人は「自由回答」が苦手な生き物
心理学には「認知負荷」という考え方がある。
簡単に言えば、
脳が処理しなければならない情報量のことだ。
自由回答の質問は、この認知負荷が非常に高い。
「どう思う?」と聞かれた瞬間、脳内では同時にこんな作業が起きている。
何が起きたかを整理する
原因を考える
言葉を探す
相手に伝わる表現に変換する
つまり、かなり高度な処理を一気にやらされている。
これは大人でも難しい。
ましてや、試合直後で疲労している選手ならなおさらだ。
答えられないのは、能力不足ではない。
単純に「脳が忙しすぎる」だけなのである。
三択は「脳の省エネモード」を作る
それに対して三択はどうか。
選手がやることは、
「ゼロから考える」ではなく
「近いものを選ぶ」だけ。
これは圧倒的に楽だ。
例えるなら、
記述式テストと
マークシートテストの違い。
どちらが早く解けるかは明らかだろう。
三択は、思考をサボらせているのではない。
思考のハードルを下げているのだ。
だから、
言語化が苦手な選手
感覚派の選手
ジュニア世代
疲労時
試合中のタイムアウト
こうした場面では、特に強力に機能する。
スポーツの現場が「三択と相性がいい」と言われる理由はここにある。
速さが正義になる場面もある
スポーツには「熟考している時間」がない瞬間がある。
試合中
ハーフタイム
セット間
残り30秒
ここで必要なのは、深い哲学ではない。
即断
即決
即修正
だ。
その意味で、三択は「現場仕様の質問」と言える。
コーチング理論としてというより、
戦術的なコミュニケーションツールとして非常に優秀なのだ。
だからこそ、多くのトレーナーや指導者が無意識に使っている。
それは決して間違いではない。
むしろ合理的な判断だろう。
ただし――
ここにひとつ、見落としてはいけない視点がある。
「早く答えられること」と
「深く考えられていること」は、同じではない。
三択は“速さ”を生む。
しかし、それが必ずしも“成長”につながるとは限らない。
では、この方法にはどんなメリットがあり、どんな落とし穴が潜んでいるのか。
次章では、現場で実感できる「三択質問の具体的なメリット」について整理していこう。
第2章 三択質問が現場で機能する4つのメリット
多くの指導者が無意識に使っている理由
ここまで読んで、こう感じた人もいるかもしれない。
「理屈はわかる。でも、実際三択って普通に便利なんだよね」
その感覚は正しい。
三択の質問は、決して“悪い指導法”ではない。
むしろ、スポーツの現場においては非常に合理的なコミュニケーションツールだ。
だからこそ、多くのトレーナーやコーチが自然と使っている。
では、具体的に何がそんなに優れているのか。
ここでは、現場目線でのメリットを整理してみよう。
メリット1 即答を引き出せる
最大の強みは、やはり「スピード」だ。
「どうして今のミスが起きたと思う?」
この質問だと、選手は考え込む。
しかし、
「技術?判断?メンタル?」
この三択なら、ほとんど反射で答えられる。
スポーツ現場では、
考える時間より、修正して動く時間のほうが重要だ。
特に試合中は、
止まる
考える
迷う
この3つがパフォーマンスを下げる。
三択は、選手の思考を止めず、
「次の行動」に素早くつなげることができる。
これは大きな武器になる。
メリット2 思考の整理を手伝える
選手は、自分の状態を正確に言語化できているわけではない。
「なんかうまくいかない」
「ちょっとズレてる気がする」
多くはこのレベルの感覚だ。
そこに選択肢を提示すると、
「あ、これかもしれない」
と、頭の中が一気に整理される。
三択は、答えを与えているのではない。
思考の“枠”を提供しているだけだ。
言い換えれば、
選手の自己認知をサポートしている状態。
これはコーチングとしても非常に価値が高い。
メリット3 言語化が苦手な選手にも使える
現場には、いろんなタイプの選手がいる。
理論派
感覚派
口数が少ないタイプ
ジュニア世代
特に感覚派の選手は、
「どう感じた?」と聞かれても答えられないことが多い。
でも、
「リズムが悪い?タイミング?それとも力み?」
と具体化してあげると、急に話し始める。
これは能力の差ではなく、
単に“質問の形式”の問題だ。
三択は、コミュニケーションのハードルを下げる。
つまり、
「話せない選手」を減らす効果がある。
チーム全体の対話量が増えるのは、実は大きなメリットだ。
メリット4 指導の再現性が上がる
もうひとつ、指導者側のメリットもある。
三択は「型」になる。
例えば、
技術
判断
メンタル
この3つのフレームで毎回振り返れば、
指導がブレにくい。
感情や気分に左右されず、
常に同じ視点で整理できる。
これは経験の浅いコーチやトレーナーにとって、特に有効だ。
質問が安定する
面談がスムーズになる
コミュニケーションが標準化される
結果として、チーム全体の質も整っていく。
だから三択は「現場で生き残ってきた」
こうして見ると、三択はとても合理的だ。
早い
簡単
使いやすい
再現性がある
だから自然と広まってきた。
それは偶然ではない。
現場で“使える”から生き残ってきたのだ。
ただし、ここでひとつだけ問い直したい。
それは、
「便利であること」と
「育つこと」は同じだろうか?
三択は確かに速い。
しかし、その速さの裏側で、選手の“ある力”を奪ってしまうこともある。
第3章 三択が選手の成長を止めることがある
見落とされがちな4つの落とし穴
ここまで読んで、
「やっぱり三択って便利じゃないか」
そう感じた人も多いだろう。
実際、その通りだ。
三択は現場で機能する優れたコミュニケーション技術である。
しかし――
便利な道具ほど、無自覚に使い続けると危険になる。
なぜなら、
「早く答えが出ること」と
「選手が成長していること」は、まったく別の話だからだ。
三択は、短期的な成果は出しやすい。
だが、長期的な育成という視点で見ると、いくつかの落とし穴が潜んでいる。
ここを理解していないと、
知らないうちに“考えない選手”を育ててしまうことになる。
落とし穴1 思考が「枠」に縛られる
三択を提示した瞬間、選手の思考はその枠の中に収まる。
技術
判断
メンタル
この3つを提示されたら、選手はこの中からしか考えなくなる。
本当は、
体調の問題かもしれない
人間関係のストレスかもしれない
家庭の事情かもしれない
単純に睡眠不足かもしれない
でも、その可能性は最初から消えてしまう。
三択は「考えやすくする」一方で、
同時に「考える範囲を制限する」。
これはコーチが無意識に世界観を押しつけている状態でもある。
便利さの裏側で、視野を狭めてしまう危険があるのだ。
落とし穴2 自分で問いを立てる力が育たない
三択に慣れた選手は、次第にこうなる。
「答えはいつもコーチが用意してくれる」
つまり、
自分で考える前に「選択肢待ち」になる。
これは一見スムーズだが、実はかなり深刻だ。
試合中、コーチがそばにいなかったらどうするのか。
自分で状況を整理し、
自分で原因を分析し、
自分で修正できなければ、トップレベルでは戦えない。
本来育てたいのは、
「答えられる選手」ではない。
「自分で問いを立てられる選手」のはずだ。
三択の使いすぎは、この力を奪ってしまう。
気づかないうちに、コーチ依存型の選手を生み出してしまうのである。
落とし穴3 コーチのバイアスが入り込む
三択は中立に見えて、実はかなり主観的だ。
なぜなら、選択肢を作っているのはコーチだからだ。
例えば、
技術
判断
メンタル
このフレーム自体が、すでにコーチの解釈だ。
もしかしたら選手は
「そもそも戦術が合っていない」
と感じているかもしれない。
でもその選択肢がなければ、言葉にできない。
つまり三択は、
コーチの価値観に選手を誘導してしまうリスクがある。
これはコーチングにおいて最も避けたい状態だ。
本来、答えは選手の中にある。
それを引き出すのがコーチの役割であって、
方向づけることではない。
落とし穴4 深い対話が生まれにくい
三択は速い。
しかし、浅い。
「不安?焦り?緊張?」
と聞けば、たしかにすぐ答えは出る。
でも、
「今、どんな気持ちが一番近い?」
と聞いたときに出てくる言葉のほうが、
その選手の本音に近いことが多い。
育成に必要なのは、スピードより深さだ。
自分の感情と向き合う時間
言葉を探す時間
うまく言えなくても考える時間
この「もどかしい時間」こそが、実は成長をつくる。
三択は、その時間をショートカットしてしまう。
効率化が、必ずしも成長につながるとは限らない理由がここにある。
問いは「効率化の道具」ではない
三択は便利だ。
しかし、万能ではない。
短期的には成果を出せる。
でも、長期的には思考力を奪う可能性もある。
だから問題は、
「三択が良いか悪いか」ではない。
どう使うか、だ。
問いはテクニックではない。
それは、選手の未来を形づくる“設計図”である。
では、現場ではどのように使い分ければいいのか。
次章では、
短期と長期の視点から考える「質問の戦略的な使い分け」について具体的に紹介していこう。
三択を「依存の道具」ではなく、
「自立を促す道具」に変える方法がある。
第4章 本当に育つ指導者がやっている「質問の使い分け」
三択か、自由質問かではない。戦略で決める
ここまで読んで、こんな疑問が浮かんでいるかもしれない。
三択は便利
でも依存を生むリスクもある
じゃあ、結局どっちを使えばいいのか?
答えはシンプルだ。
どちらが正しいか、ではない。
「いつ使うか」がすべてである。
三択とオープンクエスチョンは、
優劣ではなく“役割”が違う。
例えるなら、
三択はドライバー
自由質問は登山靴
どちらも必要だが、使う場面が違うだけだ。
プロの指導者は、この「使い分け」を無意識にやっている。
場面1 試合中は「三択」が正解
試合中に必要なのは、内省ではない。
修正だ。
ハーフタイム
セット間
タイムアウト
残り1分
ここで「じっくり考えてみよう」は間に合わない。
必要なのは、
即断
即決
即行動
である。
だからこの場面では、三択が最強だ。
「原因は技術?判断?メンタル?」
「守備?声?ポジショニング?」
「強気?慎重?いつも通り?」
とにかく“早く決めさせる”。
ここでは深さよりスピードが価値になる。
三択は戦術的コミュニケーションツールとして割り切って使えばいい。
場面2 練習後や面談では「自由質問」
一方、練習後や個別面談では目的が変わる。
ここで育てたいのは、
考える力
言語化する力
自己理解
自立性
だ。
つまり「人としての成長」。
このフェーズで三択ばかり使っていると、思考力は伸びない。
だからあえて、
「どう感じた?」
「何が起きていたと思う?」
「自分ではどう整理してる?」
こうした自由質問を投げる。
すぐ答えが出なくてもいい。
沈黙があってもいい。
むしろ、その時間こそがトレーニングだ。
選手が言葉を探している時間は、
脳が本気で学習している時間でもある。
指導者が急いで埋めてはいけない。
ここで“待てるかどうか”が、実はコーチの力量だったりする。
場面3 育成期は「自分で問いを立てさせる」
さらに一歩進んだ指導者は、もうひとつ上の段階に進む。
それが「問いを渡す」のではなく、
「問いを作らせる」ことだ。
例えば、
今日のプレーで自分に質問をするとしたら何を聞く?
次の試合までに何をテーマにしたい?
今の自分に一番必要な課題は何だと思う?
こう聞かれると、選手は初めて気づく。
あ、自分で考えないといけないんだ、と。
これが本当の自立支援だ。
コーチがいなくても成長できる選手は、
必ず「自問自答」ができる。
トップアスリートほど、例外なくこれができている。
最強なのは「三択+自由」のハイブリッド型
実は、現場で一番使いやすいのはこの形だ。
「技術?判断?メンタル?
それとも他にある?」
たったこれだけ。
三択でハードルを下げながら、
最後に「自由」を残しておく。
この一言があるだけで、
思考は縛られず
スピードも落ちない
制限と自由のバランスがとれる。
個人的には、これが最も実践的でおすすめの型だ。
質問は「育てたい未来」から逆算する
結局のところ、質問の正解はひとつしかない。
その問いは、選手の未来につながっているか?
これだけだ。
今すぐ修正させたいなら三択
考えさせたいなら自由質問
自立させたいなら問いを作らせる
目的が決まれば、方法は自然に決まる。
テクニックに振り回される必要はない。
第5章 問いは技術ではなく「在り方」である
選手が自分の人生を走れるようになるために
三択の質問は、たしかに便利だ。
答えは早く出る。
現場は回る。
指導はスムーズになる。
だから、多くの指導者が無意識に使っている。
それ自体が悪いわけではない。
しかし、問いの本質はそこにはない。
本当に大切なのは、
どんな質問をしたかではなく、
その質問が「何を育てようとしているか」だ。
問いは、選手をコントロールするための道具ではない。
行動を速めるためだけの技術でもない。
問いとは、
選手が自分自身と向き合うための“入口”である。
良い問いは、すぐに答えが出ない
良い問いほど、少し時間がかかる。
言葉に詰まる
沈黙が生まれる
何度も考え直す
その過程そのものが、選手を育てていく。
指導者がやるべきことは、
うまく質問することではない。
考える余白を残すことだ。
すぐに答えが出ないからといって、
焦ってはいけない。
その沈黙の中で、選手は確実に前に進んでいる。
最終目標は「コーチがいらなくなること」
スポーツメンタルコーチングのゴールは明確だ。
コーチがいなくても、
選手が自分で整え、考え、立ち上がれるようになること。
誰かに聞かれなくても、
自分で自分に問いを立てられるようになること。
その力があれば、
試合でも、競技人生でも、
そして競技を終えたその先の人生でも、迷いにくくなる。
だから、問いは減っていくほうがいい。
最初はコーチが問いかける。
次に、選手が自分に問いかける。
やがて、問いすら意識せずに行動できるようになる。
そのプロセスこそが、成長だ。
誰もが「問いかける存在」になれる
特別な肩書きがなくてもいい。
高度な理論を知らなくてもいい。
目の前の人を信じ、
考える力を尊重し、
答えを急がせない。
それだけで、誰もが誰かのメンタルコーチになれる。
一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会のスローガンでもある「One athlete,Oen mental coach〜1人のアスリートに、1人のメンタルコーチを〜」という言葉は、専門職を増やしたいという意味ではない。
一人のアスリートに、
一人の“考えることを支えてくれる存在”がいる世界をつくりたい。
その想いを形にするのが、問いだ。
問いを投げる前に、自分に問いかけてほしい
最後に、指導者自身に問いを投げたい。
その質問は、
選手を楽にしているだろうか。
その問いは、
選手の未来につながっているだろうか。
そして、
その問いは、
自分が信じる指導の在り方から生まれているだろうか。
三択か、自由質問か。
そんな議論は本質ではない。
問いの奥に、どんな想いがあるのか。
そこにこそ、指導の質が表れる。
選手が、自分の足で立ち、
自分の言葉で考え、
自分の人生を走っていけるように。
そのための問いを、今日も静かに差し出していきたい。

