はじめに|「リモートでもできる」は本当にそうなのか?
近年、コーチングの世界でも「リモートで受けられます」「全国どこからでもOK」という言葉をよく目にするようになりました。
ZoomやGoogle Meetといったオンラインツールの普及により、地理的な制約は大きく解消され、コーチングの敷居はぐっと下がったように見えます。
実際、私のもとにも「忙しくて移動できない」「地方在住なので対面は難しい」といった理由から、リモートでのセッションを希望される方が少なくありません。
たしかに、リモートには「便利さ」という大きなメリットがあります。
しかし、その裏で見逃されがちなのが、「つながりの質」が下がっているかもしれないという事実です。
「何かが伝わりにくい」「本音を引き出しにくい」「深い話ができなかった」
そう感じたことはありませんか?
これは決して、気のせいではありません。
むしろ、脳科学や心理学の観点から見れば当然のこととも言えるのです。
このブログでは、リモートコーチングの落とし穴を科学的視点でひもときながら、
「対面との違いは何か?」「なぜ場が大事なのか?」を明らかにしていきます。
リモートでの限界を知ることは、コーチングの本質を見つめ直すことでもあります。
便利さを活かしつつ、本当に変化を起こすコーチングとは何かを一緒に探っていきましょう。
第1章|コーチングとは対話ではなく共鳴
コーチングとは、単なる「会話の技術」ではありません。
目の前にいるクライアントの奥深くにある思いや葛藤に触れ、
気づきという内なる変化を引き出す行為です。
この「気づき」は、問いかけや傾聴だけでは起きません。
そこに必要なのは、共鳴です。
言葉だけでは、心は動かない
「うまく問いかけているのに、なぜか反応が薄い」
「話は弾んでいるのに、変化が起きていない気がする」
そんな経験はありませんか?
それは、言葉のやりとりが成立していても、感情や意識の波長が合っていない状態かもしれません。
いわば、対話はできているけれど共鳴していない。
私たちが何かに心を動かされるとき、それは言葉そのものよりも、
相手の表情・間・声のトーン・空気感に動かされていることが多いのです。
共鳴とは、感情が伝播する状態
心理学では、人と人との間に感情が伝わる仕組みとして「情動感染(Emotional Contagion)」という概念があります。
これは、笑っている人を見るとこちらもつられて笑ってしまう、緊張している人を見ると自分までドキドキしてくる、というような感情の伝染を指します。
この感情の共鳴は、単なる言葉のやりとりでは起きません。
表情や姿勢、呼吸、間合いといった非言語情報(ノンバーバル)があってこそ、感情は伝播し、安心感や信頼が育まれていきます。
つまり、「気づき」が生まれる空間には、身体性が必要なのです。
リモートでは何が欠けやすいのか?
リモート環境では、こうした共鳴を支える要素が抜け落ちやすくなります。
- 相手の細かな表情の変化がわかりづらい
- 視線が合いにくく、感情の微細な動きに気づけない
- 同じ空間にいるという安心感・一体感がない
- 自然な間(ま)や沈黙のニュアンスが伝わりにくい
その結果、クライアントの「なんとなく違和感がある」「本音を出しづらい」といった微細な感情の揺れをコーチが感じ取れず、セッションの深まりが止まってしまうのです。
コーチングの本質は「空気をつくる力」
だからこそ、コーチングにおいて本当に大切なのは、
問いの技術ではなく、場の力なのです。
問いが効果を持つのは、「安心して本音を出せる場」が整っていてこそ。
その場をつくるには、ノンバーバルな感覚、共鳴、空気感が欠かせません。
リモートでは、この「場づくり」が意図的でなければ成立しません。
対面では自然に生まれていたものを、オンラインでは設計し直す必要があるのです。
第2章|科学が示すリモートの限界とは?
前章では、コーチングにおいて「共鳴」がいかに重要かをお伝えしました。
では、なぜリモート環境ではその共鳴が起こりにくくなるのでしょうか?
ここでは、脳科学・心理学・行動科学の視点から、リモートコーチングの本質的な限界を見ていきます。
2-1. ノンバーバル情報の欠落──65%以上の情報が消える
有名なMehrabian(メラビアン)の法則では、
人と人のコミュニケーションにおいて、以下のような割合が示されています:
- 言語(話の内容)7%
- 聴覚(声のトーンや話し方)38%
- 視覚(表情やしぐさ)55%
つまり、93%は非言語的な情報なのです。
リモート環境ではこの非言語部分が大きく失われます。
たとえば:
- 手元や足元の動きはカメラに映らない
- 呼吸や姿勢の変化に気づきづらい
- 照明や画質の問題で、表情の微妙な揺れが読み取れない
その結果、「あ、今ちょっと言いにくそうだな」「この話は深堀りしていいのかな?」といった微細な空気の変化を察知できないのです。
2-2. ミラーニューロンの働きが弱くなる
私たちが相手の感情に共感したり、動きを自然と真似したりする背景には、
脳内のミラーニューロン(共感細胞)が関わっています。
この神経細胞は、目の前の人の表情や行動を観察すると、自分の脳内でも同じような活動を再現します。
つまり、「相手の感情を自分のことのように感じる」ことができるのです。
ところがリモートでは、画面越しでの視覚情報が乏しくなるため、
このミラーニューロンの働きが弱まり、共感や感情の伝播が起こりにくくなるという研究報告があります。
「なんとなく伝わらない」「わかってもらえてる気がしない」
これは脳の仕組みによる自然な反応なのです。
2-3. 心理的安全性が生まれにくい
心理学者Amy Edmondsonが提唱した「心理的安全性」とは、
「この場では自分らしくいてもよい」「失敗や弱さをさらけ出しても評価されない」と感じられる状態を指します。
コーチングにおいても、この心理的安全性がなければ、クライアントは本音を語ることができません。
ところが、リモートでは:
- 相手のリアクションが遅れる
- 通信の不安定さで会話が遮られる
- 周囲の雑音や家族の存在などに意識が向いてしまう
といった理由から、安心して自分を出せる場が生まれにくくなるのです。
さらに、自分の顔が画面に映り続けることで、無意識のうちに自己監視状態になり、
「どう見えているか」が気になってしまい、内省に集中できなくなるという研究結果もあります(スタンフォード大学、Zoom Fatigueの研究より)。
2-4. 集中力と内省の質が下がる
リモートでは、クライアントが「ながら状態」に入りやすくなります。
- 他のタブを開いている
- スマホの通知が気になる
- 家の中で完全に集中できる環境がない
このような状況では、「自分の感情と深く向き合う」というコーチングの核心にたどり着くのが難しくなります。
セッションが終わっても、「なんとなく話して終わっただけ」という感覚が残ることも少なくありません。
リモートには限界がある。だからこそ「設計力」が問われる
このように、リモートには科学的に見ても明確な制約があります。
しかし、これは「リモートでは成果が出ない」と言いたいわけではありません。
むしろ重要なのは、
リモートでも信頼関係と気づきを生むには、どのような工夫が必要なのか?
という場の設計力です。
第3章 リモートでも“変化”を生むためにできる工夫とは?
ここまで、リモートコーチングの科学的な限界を見てきました。
では、リモートでは成果を出せないのか?と問われれば、答えは「NO」です。
制約があるからこそ、意図的に場を設計する力が求められるのです。
ここでは、リモート環境でも信頼関係と気づきを深めていくための、具体的な工夫をご紹介します。
3-1. 初回はできるだけ対面で「関係の種」を植える
最初のセッションは、可能であれば対面での実施をおすすめします。
対面で一度でも「安心できる」「この人は味方だ」と感じた体験は、
その後のリモートセッションにも良い影響を与えます。
仮に対面が難しい場合でも、初回は長めに時間を取る/カメラONの状態で表情を意識する/導入で関係づくりに十分な時間を割くなど、信頼関係の土台を丁寧に育てることが大切です。
3-2. セッション冒頭に場を整える時間をつくる
リモートでは、クライアントが仕事の合間や家事の途中からそのまま画面を開くことが多く、心の準備が整っていない状態でセッションが始まりやすいです。
そこでおすすめなのが、セッション冒頭の「リチュアル(儀式)」です。
たとえば
- 30秒〜1分の深呼吸を一緒に行う
- 「今日の自分の状態を一言で表すと?」と聞いてセルフチェック
- 「体のどこかに力が入っている部分があるか?」と身体感覚を確認
これらを導入することで、画面越しでも「今この瞬間」に意識が戻り、対話が深まりやすくなります。
3-3. ノンバーバルの代わりに言語化を補う
リモートでは表情や姿勢から感じ取れない分、言葉での確認がカギになります。
たとえば:
- 「今、その言葉を選んだ理由をもう少し教えてもらえますか?」
- 「今の沈黙には、どんな感情が隠れていたと思いますか?」
- 「少し間が空きましたが、何が浮かんでいましたか?」
こうした質問によって、クライアントの内的な動きに自覚的になってもらうことができます。
これは“問いのテクニック”ではなく、場を可視化するための通訳のようなものです。
3-4. 「チェックイン」と「チェックアウト」で振り返りの習慣を
セッションの最初と最後に簡単な振り返りの時間を取ることは、リモートの効果を高めるうえで非常に有効です。
たとえば:
- チェックイン例:「今の気分を3段階で表すと?」「最近一番うれしかったことは?」
- チェックアウト例:「今日のセッションで気づいたことを一言で」「終わった今、どんな感情が残っていますか?」
これにより、クライアント自身が自分の内側の変化に気づきやすくなり、セッションの質が高まります。
3-5. ハイブリッド設計で密度を調整する
リモートだけで進めるのではなく、節目ごとに対面セッションを挟むハイブリッド形式も非常に効果的です。
たとえば:
- 初回・中間・最終セッションは対面
- 月1回だけ対面で、その他はリモート
- プロジェクトの開始時と終了時だけ会う設計
このように、関係性の密度を戦略的に管理することで、リモートでも深い変化を促しやすくなります。
第4章|対面だからこそ起きる空気の力とは?
「空気を読む」「間(ま)を感じる」「なんとなく伝わる」
こうした日本語の表現には、言葉では説明しきれない“感覚の世界”が込められています。
対面コーチングにおける最大の強みは、まさにその「言語にならないもの」がやり取りできる空間が自然に立ち上がることです。
リモートでは決して再現できない、対面の空気の力。
この章では、それがなぜコーチングにおいて重要なのかを深掘りしていきます。
4-1. 言葉にならない「微細な情報」が場を動かす
対面の場では、私たちは無意識のうちに以下のような情報を受け取っています:
- クライアントの呼吸のリズム
- まばたきの速さ
- 体の傾きや姿勢の緊張
- 声にならなかったため息
- 手足の小さな動きや震え
これらの情報は、言語では表現されませんが、確実に「今、何が起きているか」をコーチに伝えています。
そして、コーチ自身もまた、それに身体で反応し、空気を読みながら言葉を選んでいるのです。
これは、リモートでは圧倒的に得られにくい“相互作用”です。
4-2. 「間(ま)」がつくる沈黙の力
対面コーチングでは、沈黙がとても大きな意味を持ちます。
たとえば、クライアントが深く考えているとき、
無言のまま下を向いたり、視線を外して内省に入っているような時間。
この「沈黙の間」に、コーチはあえて何も言わず、
ただそっと見守るだけで、相手の気づきが自然と立ち上がってくることがあります。
この時間の「質」は、空気の流れや身体感覚によって支えられており、
オンラインでは沈黙が「通信の不安定さ」や「気まずさ」にすり替わってしまいがちです。
沈黙を“待てる力”は、空気の中にしか育ちません。
4-3. 「場のエネルギー」が人を変える
人間は、本質的に場の影響を大きく受ける存在です。
宗教、儀式、セラピー、カウンセリング、茶道や武道──
あらゆる変容のプロセスには、「場の力」が不可欠でした。
それは単なる“部屋”ではなく、そこに集まった人の意図・姿勢・集中が共鳴し合うことで生まれる空間です。
コーチングも同じです。
クライアントが「この空間では、自分の殻を破っていい」と感じられた瞬間、
変化は自然に起き始めます。
これは、Zoomの画面越しでは感じられない、対面の神秘性とも言えるものです。
4-4. 東洋思想における「場」と「在り方」
東洋思想、特に禅や武道の世界では、「場」は非常に重要な概念です。
- 禅では、「場の静けさ」が自己との対話を深める空間を生み出す
- 武道では、「道場」という空間そのものが人を育てる器となる
- 茶道では、「一座建立(一回一会)」という思想のもと、空間と意識の一致が尊ばれる
コーチングもまた、「問い」や「技術」だけで人が変わるのではなく、
在り方の交換が起こる場こそが、人を動かすという東洋的な見方ができるでしょう。
第5章|リモート時代だからこそ、原点に立ち返る
コーチングの現場は、かつてないほど自由になりました。
場所も、距離も、ツールも、もう制限ではありません。
でも、その「自由さ」のなかで、何か大切なものが抜け落ちていないか?
それがこの記事で一貫して伝えたかった問いです。
5-1. ツールは“本質”を代替できない
リモートコーチングは、確かに便利です。
時間も移動も効率的。録画もできるし、全国どこからでもアクセスできる。
でも、それらはあくまで手段であって、目的ではない。
- クライアントが「自分と向き合うこと」を避けていないか?
- コーチが「関係性の深まり」を軽視していないか?
- お互いが「この時間にすべてを委ねる覚悟」を持てているか?
リモートであること自体が問題なのではなく、
本質を置き去りにしたまま、形だけを保っていることが問題なのです。
5-2. 本当に問うべきは、「自分は何を届けたいのか?」
どんな形式であれ、コーチングの根底にあるのは
「この人と真剣に向き合いたい」という意志です。
それはツールや環境を超えて伝わるもの。
けれども、それを成立させるには、コーチ自身が
自分の在り方を明確にしておく必要があります。
- 私は、どんなときにクライアントと深くつながれるのか?
- どんな場面で「今、届いた」と感じたか?
- リモートで失われてしまうものを、どう補おうとしているか?
テクニックや便利さに意識が奪われると、
コーチとしての「在り方」や「信念」は簡単に揺らぎます。
5-3. 原点とは、「人と人が向き合うこと」
たとえ画面越しであっても、
たとえ一言しか話せなくても、
「この人に届けたい」という気持ちがある限り、コーチングは成立します。
でも、その逆も然りです。
どれだけ環境が整っていても、どれだけ問いが洗練されていても、
心が向いていないコーチングは、何も動かさない。
コーチングの原点とは、
「人が人を信じて関わること」。
その一点だけは、どんな時代になっても、変わらないはずです。
終わりに|あなたにとって、「場」とは何ですか?
もし今、あなたがコーチとして迷っているなら、
あるいはクライアントとして満足していないなら、
一度立ち止まって、こう問いかけてみてください。
「私が本当に信じたい場とは何か?」
「その場を生み出す自分の在り方はどうあるべきか?」
便利さや効率に振り回されるのではなく、
本質に立ち返って、場をデザインする。
それこそが、リモート時代を生きるコーチに求められている力なのかもしれません。