スポーツメンタルコーチ、石井 大樹のブログ
他人からの期待に応えようとしすぎてしまうアスリートへ
先輩の期待に応えようとして潰れてしまった大学アメフト1年目
皆さんは、
「頑張れという言葉が苦しい」
「期待に応えようと無理してしまう」
そんな気持ちを感じたことはありませんか?
応援されたり頑張れと言ってもらえるのは嬉しい。
しかし、それが自分にとってプレッシャーになってしまう…。
「期待しないでくれ…」
「応援が息苦しい」
そしてそんな自分がふと嫌になったりする…。
そのように思い悩んだことはありませんか?
私自身、大学時代に他人の期待に応えようとしすぎて潰れてしまった経験があります。
「もっと頑張らないと…期待に応えないと…」
そんな思いを抱え、常にプレッシャーと隣り合わせでした。
大学アメフト1年目。
当時、私のいたチームは関東1部リーグに所属しており、
なんとか1部リーグに留まっていましたが、部員数が非常に少なく、一人ひとりにかかる責任や負荷は大きかったように感じます。
その中で、人数不足という理由ではありますが、1年生からスターティングメンバーとして出場機会を与えられることに。
「1年生から試合に出れるなんて良い経験が積める!活躍するチャンスだ」
最初はそう息巻いていました。
しかし、徐々に自分の気持ちが変化していきます。
私の担当するポジションの規定人数は3名。
そしてチームにいるそのポジションを担当できる人数も私を含め3名。
つまり、ピッタリということです。
1人でもケガをしたり、離脱してしまうと、問題が発生します。
代わりがいないからこそ、1年生の私に求められるレベルは自然と高くなります。
さらに私以外のポジションの先輩は2人とも「4年生」
最終学年としてどうしても結果を残したいと思っていたことでしょう。
「足を引っ張らないように頑張らないと…」
「自分が先輩たちの最後の年をメチャクチャにしたらどうしよう…」
そんなプレッシャーを感じていたからこそ、
競技を楽しむ、アメフトを楽しむなんてことを考える余裕もありません。
ただ毎日必死になって練習についていき、ガムシャラに先輩からの期待に応えようとする日々。
「期待に応えないと自分のせいで試合に負けてしまうかもしれない」
「期待に応えられるまで頑張らないと意味がない」
そんな毎日を繰り返すうちに、やがて試合の結果や目標のことよりも、
目の前の1プレーや、その日の練習がどうだったかなど、
目先のことに囚われてしまい、
求められているであろう自分を演じるようになっていきました。
いつのまにか「他人の期待に応えるために」アメフトをする自分になってしまっていました。
「怒られれば悪いプレー」
「褒められれば良いプレー」
次第にそんな基準が自分の中に生まれました。
そんな基準でプレーしているうちに、
・自分らしいプレー
・自分が理想とするプレー
そういったものがどんどん分からなくなりました。
他人からの期待がプレッシャーとなり、
ストレスで気付けば3ヶ月で体重が7kgほど落ちてしまい、
グラウンドに近付けば近付くほど、吐き気を催してしまうように…。
前向きな気持ちで大学アメフトをスタートしたはずが、
気付けば、義務感や強制感の中でアメフトをするようになっていました。
そのくらい、心身ともに余裕のない状態だったのを今でも鮮明に覚えています。
他人からの期待ではなく「自分への期待」に目を向ける
「先輩の期待に応えないといけない」
「求められるプレーをしなければいけない」
そんな他人からの期待を常に抱える日々が続きました。
今、冷静に考えてみると、当時の私のやるべきことは、
・純粋に強くなり、上手くなること
・対戦相手を研究すること
・思い切ってプレーすること
考えてみれば、非常にシンプルです。
しかし、他人の期待に応えようとするあまり、自分で物事を複雑に考え、そのことに気付くこともできませんでした。
もう体も心も限界を迎えていました。
結局、大学1年目はなんとか1部リーグに残留することができましたが、
最後の最後まで「他人の期待」に振り回されたまま1年目を終えることになります。
本当に苦しく、とても長く感じた1年目でした。
そして4年生が引退し、2年生となる翌年の春。
今までずっと他人の期待に応えようとプレーしていたからこそ、
先輩が抜け、自分に期待をする人間がいなくなりました。
するとあろうことか、どうやってプレーしていたのか忘れてしまったかのように上手く動けないのです。
正しくは、自分では上手く動いているつもりなのに、
ビデオなど客観的に見てみると、明らかに自分の動きが悪いのです。
動き出しも、判断も、全てが遅すぎるのです。
認めたくない現実であり、この時は正直、
「自分はこの1年、何をしていたんだろう。。」
心の底からそう思いました。
そんな時、新チームが始まってから新しいコーチ、「Nさん」が加入することになりました。
Nさんが練習に来るようになってからしばらくは何も言わず、ただ見ていただけでした。
しかし、Nさんが来て1ヶ月半くらい経った頃に練習中に話しかけられます。
「何をそんなに迷ってるんだよ?」
…え?
正直いきなりどうしたんだろうと思いました。
いきなりすぎて話の意図が全く読めませんでした。
しかし、Nさんの次の言葉で私は違う意味で言葉が出なくなります。
「迷いがプレーに出てる」
「自分らしさが全くない、ロボットみたいな動きだぞ」
「アメフト全然楽しくないだろ?」
的を突かれすぎて、何も言い返せず、昨年のことを思い出して泣きそうになりました。
他人の期待に応えるためにプレーしてきてしまったが故に、
・自分らしいプレーとは一体どんなプレーだったか?
・のびのびプレーするとは、どういうことだったのか?
完全に忘れてしまっていたのです。
それを出会って2ヶ月ほどでNさんに見抜かれた私は、去年のことを包み隠さず話しました。
静かに聞いてくれたNさんは、
「じゃあ、今日から1つだけテーマを決めて練習しよう」
「それさえ意識できれば、その日の練習はOK!」
「どんなプレーができるようになりたいの?」
そう問いかけてくれました。
心の中で本当は、
・思い切ったプレーをしたい
・勢いのあるアグレッシブなプレーをしたい
・味方に流れを引き寄せられるようなプレーヤーになりたい
そんな思いが沸々と湧いてきました。
その日から私のテーマは「思い切りよく、やる」になりました。
Nさんは私がいくら失敗しても何も言わず、
ただ、消極的なプレーや態度を見せた時には「テーマを守れてるか?」と厳しく指導してくれました。
それまでの私は、他人の期待のためにプレーしていました。
求められるプレーをしなくてはいけないし、それ以外は間違いであり、それがチームのためになると思っていました。
しかし、Nさんの言葉で、
他人の期待に応えようとはしていても、
自分の期待を裏切り続けてきたんだと気付きました。
「自分の心にもう少し素直になってみてもいいのかもしれない」
「自分にもう少し期待してもいいのかもしれない」
少しずつそう思えるようになっていきました。
自分に期待すること、それがなりたい自分へ進むための心の栄養になる。
自分の心に素直になること、それが競技を楽しむことに繋がる。
時間をかけながら、私の気持ちは変化していきました。
その結果、
“リーグ2位のチームの攻撃の流れを断つプレー”
“圧倒的格上のチーム相手にマッチアップした相手を圧倒”
他人の期待ばかり応えようとして自分らしさを無くしてしまっていた自分が、
気付けば、思い切りの良さを手に入れチームの中心として活躍するまでに。
確かに、苦しい思いや大変な経験もしました。
しかし、そんな現役時代に本気で悩んだ経験があったからこそ、
今の自分が存在し、アスリートを支える原動力になっていると感じています。
ただ、もし…もしも当時の自分の隣に
「もっと早く自分に気付きを与えてくれる存在がいたら…」
「苦しい時、一緒に考えてくれる存在がいてくれたら…」
自分のアメフト人生はもっと違うものになっていたかもしれない…
そんな風に今でも思います。
期待とは背負うものではなく「抱くもの」
「他人の期待を背負い込みすぎてしまい潰れてしまう」
「他人の期待をプレッシャーに感じてしまう」
そんな選手が、たくさんいると思います。
しかし、「期待」とは言い換えれば「願い」なんです。
「期待」という言葉の意味をご存知でしょうか?
「期待」とは…
“あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること”
という意味があります。
つまり、「期待」とは「理想の自分を望むこと」なんです。
自分の理想は他人に押し付けられるものではありません。
自分の理想は自分の中にあります。
だからこそ、他人の期待ではなく、自分自身に期待していきたいのです。
期待を背負うのではなく、期待を抱いて前を向いていきたいのです。
私自身、ここまでに綴った過去を持つからこそ、今ではスポーツメンタルコーチとして、
当時の経験を生かし、悩みを持つアスリートをサポートさせて頂いています。
様々なアスリートと接する中で、
「他人からの期待が辛い…」
「期待されてもプレッシャーに感じてしまう…」
このような相談を受けることもしばしば。
そんな「他人からの期待に苦しむアスリート」を実際に見てきました。
実際にサポートしている、とある競技でプロとして活躍している選手の話です。
この選手が競技を始めたきっかけはご両親が同じ競技をやっており、その影響でした。
その選手は試合本番になると、いつも感情的になってしまいパニックに陥り、いつも自分の実力を発揮できず、同じような負け方を繰り返してしまっていました。
そんなところから私とのメンタルコーチングがスタート。
話を深く掘り下げていくと、
「負ければボロクソに怒られていた」
「勝たないと褒めてくれなかった」
そんな幼い頃の体験を語ってくれました。
この選手は無意識に「ご両親からの期待」を背負いすぎてしまってたんです。
「勝てないと誰も応援してくれないのか?」
「勝てないと家族との繋がりがなくなるのか?」
「他人からの期待を背負い続けて、自分にプラスがあるのか?」
自分のパフォーマンスにブレーキをかけてる思い込みについて、
じっくり向き合っていきました。
その結果、
「他人からの期待」への捉え方が少しずつ変わり、
他人からの期待は応援してもらってる証拠であり、
自分への期待に目を向けていくことが大切だと少しずつ変化していきました。
先日の試合でも、惜しくも負けてしまいましたが、
その大会で優勝した選手をギリギリのところまで追い詰める攻めのパフォーマンスを発揮していました!
そんな素晴らしい変化を現在進行形で、隣で見守っている最中です。
この出来事から、私が伝えたいのは、
「自分に期待していますか?」
ということです。
他人からは何もせずとも期待されます。
しかし「自分への期待」はどうですか?
「自分ならどこまで行けるだろう?」
「~になったら最高にいい感じだ」
自分の理想の結果をイメージすることはできていますか?
理想の自分になるために、自分へ期待することができたら、どんな変化があるでしょうか?
外側ではなく、あくまでも自分の内側に目を向けていく
「他人からの期待が辛い…」
「期待されるとプレッシャーを感じてしまう…」
そう思ってしまう方に伝えたいことは、
“期待とは「願い」”
ということです。
理想を求めるという願いが期待なんです。
言い換えれば、
自分に期待できないということは、
自分の願いを自ら否定しているのと同じです。
だからこそ、
周りではなく、自分自身に期待し、
自分自身に心から集中することができたとしたら、
どんな素晴らしい変化があるでしょうか?
過去の私自身がそうだったように、自分の内側と1人で向き合うのは、本当に勇気が必要です。
だからこそ、
「今より少しでも成長したい!」
「上手くなりたい!」
「もっと競技に集中したい!」
そんなアスリートに寄り添い、アスリートが求めるビジョンに向かい一緒に走る。
そういう存在でありたいと思っていますし、
それを信念として、今も選手のサポートに携わっています。
もしこの記事を読んでくれているあなたが、
「他人からの期待が辛い…」
「期待をプレッシャーに感じてしまう…」
そんな思いを抱えているのなら、是非、私の体験コーチングを受けてみて下さい!
実際に体験コーチングを受けてくれたアスリートたちからは、このような感想を頂いてます。
「周りばかり気にしていて競技を楽しめなかったが、周りを気にせず競技に集中できるようになった」
「無意識の思考によって自分の限界を作り出していることに気付いた」
「今回の体験コーチングの気付きによって、心に余裕が生まれて人として大きく変われそう」
このような心の変化を感じて頂いてます!
中には、試合で残り10秒、3位から1位への大逆転を見せてくれたアスリートもいます!
もしこのような気持ちで競技に集中することができたら、いかがでしょうか?
自分一人では気付けないことを一緒に見つめ直す存在がいたら、どんな良い変化が起こりそうでしょうか?
一人で抱え込まず、まずは相談してみませんか?
ぜひあなたからのご連絡お待ちしています。
今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。